わたしのすきなひと

JUMPを好きになってから、コンサート会場やネットを介してお会いした方などに「誰担ですか?」とたびたび聞かれることがあります。
自分では「担当」って使い慣れないワードなので、「裕翔くんです」と答えを返すたびにドキドキというか、私なんかがいいのだろうか、となんだか恐れ入ってしまいます。果たして私は裕翔くんのこと担えているんだろうか。むしろ裕翔くんという光のような存在があるから私は普段の生活や心沈む出来事にもがんばろうと立ち向かえているわけで、むしろ裕翔くんが私を担っているんじゃないか。でも裕翔くんは私担、っていうとなんかもう勘違い感がすごい。これ、言えない。
こんがらがってまいりましたが、それくらい個人的に担当という言葉にはある種の神聖さみたいなものや定義づける難しさを感じているので、ほんとうは「JUMPの中でお気に入りのメンバーは裕翔くんです」「裕翔くんのファンです」という表現が自分にはしっくり来るんだと思います。

JUMPを好きになってから、嵐のことももっと好きになりました。
JUMPのフレッシュさやまだまだ変化がありそうなメンバーとの関係性、ビジュアルの成長にはワクワクと期待が募り、嵐の穏やかな雰囲気、安定してきたキャラクターと会話の流れ、ゆるやかに歳を重ねる様には居心地のよさを感じます。そして嵐だけが好きだった頃よりも、好きが鮮やかに、色濃く心に映るようになりました。

JUMPを好きになってから、王道のものや正統派なものもいいなあ、と思うようになりました。
音楽だと今までわりと、明るくて軽快な曲調にウエットな歌詞が乗っているようなものが好きだったのですが(嵐のナナナとか前回記事に書いたフジとか)(今でも好きです)、JUMPはバラード曲がすごく素直に心に沁み入ります。Star Time、Memoriesはとりわけよく聴いています。
また、私は嵐では相葉さんファンなのですが、朗らかで親しみやすいキャラクターの隙間隙間に見える真の長男力とか、あんがい物事に興味薄くて雑っぽくなるところとかエスパーしてはたまらない!!!とのた打ち回ってるんですが、裕翔くんはなんか、提供される情報のイノセントっぷりがファンタジーすぎというか、リアルがデラックスすぎるので、知れば知るほど想像する隙が、ない。もはやそのままを受け取ってただただ眺めていたい…という気持ちになります。同じ好きでも、興奮するポイントがそれぞれで違うので、不思議な感覚です。
たぶん2年前のあの日りそむす見ずに裕翔くん(JUMP)を見つけられなかったら、こんなに新しい価値観得られなかったなあと思います。

相葉さん見てるとたまらなくて、裕翔くん見てると満たされる。
どっちつかずなのかな、ともちょっと思ってしまうんですが、やっぱり2人が2人とも特別で、なくてはならない存在です。



そういえばJUMPコンはいつも孤独な戦士なのですが、たまにお隣になった方から誰担に見えますかクイズを出題いただくことがあって、それがけっこう楽しかったりします。お答え聞くとなるほど!とわかるところがあったりして、担タレの法則、おもしろいなーと思います。
絵だと描いてる人に似るか、理想が反映されるかのどちらかだと言いますよね。私は前者だと言われます。目が死んでるところが一緒だそうです。