君には見せられない顔がある

今月の一途になぜかやたらと胸が締めつけられています。
この、無欲で無頓着な感じ、今までだってそうだったはずなんですけど、なんで今回だけこんなに「薄い」とか「少ない」「小さい」「狭い」とかの言葉に寂しさを感じるんだろう…。
ニノって、冷えた夜にじっとりと露を含んだ蕾みたいな重さがあるなあとずっと思っていました。たぶんそれは自分だけが抱えていればいいものだと本人は思っていて、誰かが手に取ってその重みを感じるなんてことはさせないし、差し出された手のひらに滴をこぼすこともしなさそう。だから人に話す言葉はいつもすらすらと軽やかなのかな、と雑誌やテレビに目を通すたび想像を積み重ねていました。でも完全に隠しているわけでもなさそうで。(鈍感ながらもこうやって勘繰るオタクがいるし…)スーパーデリケートな部分、あるよ!見せないけどね!って存在だけはほのめかしてくるあたりめんどいかわいい人だなまったく!といとおしく思っていたのです。
でも今回のインタビュー、なんだかずいぶんと乾いているように見えました。人に持たせなかったもの、自分で持つことすらやめてしまったような感じがして、どうにもその身軽さが切なくて仕方なかった。
なんだろうなあ、前はもう少し”ホントの自分”を受け入れる場所を持っていた気がするんです。何年か前のインタビューで、アイドルでも普通に街で買い物するし恋愛もする、どれだけ普通の兄ちゃんでいられるかやってやる、みたいなことたしか言っていて、すごくいいなあって思ったんですよ。取り巻く景色も状況も変わったけど、できればそのようにあり続けてほしかった。でも維持するのも変わるのも、どっちにいくか考えるのもすごくエネルギーと勇気のいることだから、難しいですよね…難しい…。

とかいろいろ考えてたんですけど、何度か読み返して、今回のテーマが「無我」だということにようやく気づいたので(遅い)サービス精神旺盛なニノさんはテーマを強めに打ち出したトークをしてくれただけなのかもしれない。悩み多きMORE世代に向けて共感と励みを喚起させるために、仕事に生きる儚さなどをじゃっかん演出とかしちゃっているのかもしれない。私はニノの話術にすっかりハマっているだけなのかもしれない。それならそれでかまわない。ニノさんにはかなわない。嵐が好きで終わらせたくない。という欲を持っていることを、口に出して、記事に残してくれて嬉しかったです。